中国式管理ブログ

ー被管理者のための管理の教科書ー

問題は解決ではなく、解消だ!

 問題があれば、解決しなければならないと考えるのは、・・・f:id:m-uchi2207:20200612075220j:image

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   問題は解決ではなく、解消だ。このように考えると、物事が解決したとき、我々に残るしこり、後味の悪さもつじつまが合うような気がします。

二から三を見出す

 二から三を見出す例。

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  唯心  <ー 心  物  合  一 ー> 唯物

 管理者  <ー 幹        部 ー> 被管理者

 人治   <ー 人治を法治に含ませる ー> 法治

 二から三を見出すことで、対極的にある概念から新しいアイデアを生み出すことができる。二合法で、全体的な解決の道を見つけ出すことができるようになる。 

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 果たして、労使関係はこんな感じで解決できるだろうか? まあ、「根回し」という日本語があるように、お互いに意思疎通が聞きそうですね。

二分法 vs 二合法

 2020年は、実に落ち着かず、息づまる一年でした。本来は東京オリンピックが行なわれ、物理的にも、精神的にも、豊かな一時代をもたらしてくれるはずだったが、コロナという禍は、我々に未曾有の体験をもたらしてくれた。

 通年のマスクで、鼻が悪くメガネの私は、息がつまって頭の中が真っ白になりながら、くもった眼鏡で前が見えず大変な時が多かった。

 コロナが冷めやらぬおかげで、3か月の火消しプロジェクトが3月から9月までに延び、4月中旬からゴールデンウイーク明けまでの現場休場、6月から8月までの炎天下でのマスク、ひやひやしながら、通勤し、落ち着かない日々の連続だった。10月から新しいプロジェクトに入りましたが、これもまた時節柄で、入場5日目には、在宅勤務に出された。

 そして2021年、新たな旅立ち。

 我々が慣れ親しんできた二分法。

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 初めて見る三分法。

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 皆さんは、子供のとき「群盲像を評す」というインドの寓話を聞いたことはないでしょうか?6人の盲人が、ゾウを触って、それが何だと答えるお話です。足を触った者は「象は柱だ」と答え、耳を触った者は「象は団扇だ」と答えた。子供ごころにおかしいなあと思ったものです。

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 詳細は、こちらのサイト<群盲ゾウを評すを>ご覧ください。「木を見て森を見ず」なることわざの方がもっとピンと来るかもしれません。1本1本の木を見ても、森とはどんなものかは分からないし、耳・目・鼻・口をそれぞれに触っても、ゾウを理解することはできません。

 二分法でずっと物事を理解してきた我々は、実はそれぞれを見てきたが、それぞれを合わせた全体を見ることを忘れてきている。ここで私は、二合法というものを気づかされたものです。 

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 「一つの道に決め込み、それに従いつづけて押し広めようとすると、すなわち極端になってしまう。」このことは実は、我々がこれまで信じて疑わないいくつかのキーワードに関して思いを馳せざるを得ない。民主と独裁、正義と邪悪。これらにもグレーゾーンがあり、二合法で考えると、我々の実体験の中の矛盾や、不条理が理解できてくるように思う。

#家にいよう。人間らしさ、グレーゾーン。

 コロナも、もう少しで終わろうとしています。家にいなければならないのも、もう少しの我慢です。我々はみんなで一つの勝利をつかみ取ろうとしています。もちろん、その先もしばらくはウィルスに気を付け、手洗い、消毒に勤しまなければならない。

 しかし、今回で我々は初めて、戦争よりも現実味のある脅威にさらされ、毎日外出には常にマスクをつけなければならない窮屈な生活を強いられた。ハリウッドの映画によく描かれる物語が目の前に展開され、人類はまだ新たな展開に差し掛かったのではないかと思いを馳せずにはいられない。まあ、映画よりは程度が軽く済んで良かったようにも思います。

 ウィルスとの戦いは今後、人類にとって中心に代わるだろう。ここ10数年での経済のグローバル化により、ヒト・モノ・カネの大移動で、我々は恩恵を受けると同時に、ウィルスの拡散も対岸の火事では済まなくなってきていると思います。今後もそのことを忘れずに、向き合って生きていかなければならないと言わざるを得ません。

 さて、開店前にお店に着いたら、あなたならどうするでしょう?待つ、営業時間にまだ戻ってくる。

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 第3の選択。西洋的にルールをしっかり守る我々では、なかなか思いが至らないことだと思います。あなたは受け入れられるでしょうか。

 私は過去に父親の心臓の手術の際、買い漏れた手術に使う必需品を母親が、営業開始前の病院の売店に買いに行ったことがあります。最初はやはり時間外で売ることはできないということでしたが、手術の事情を知ると時間外にもかかわらず、売って頂きました。時々の事情、状況によって物事は一定ではなく、変わるようです。

 物事は白黒はっきりつけられると思っていますか?その間にあるグレーゾーンにお気づきではないでしょうか?

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 同じことでも、赤の他人がやるのでは許せないが、友人がやると許せてしまうことってありますよね。立場が変われば、同じことであっても感じ方が変わってしまう。人間は感情に左右される動物である。白と黒の間に実は、黒でも白でもよく、黒でも白でもないグレーの部分が存在する。このことは我々がよく見落としてしまう点である。

 そして同時に目を背きたがる事実である。しかし、むりやりに白か、黒かをはっきりさせようとすると、人の感情を傷付け、時として反発を招いてしまう。そのとき白黒がはっきりさせたとしても、人の心にしこりを残し、誰も気分はよくない。そこで明らかな、もしくは密かに反発を受けることになってしまう。なんら意味をなさない。

 これも近代化のジレンマで、理屈的に正しくても感情的に受け入れられないものがあります。西洋の近代化もまた、人間の個々の事情、感情を削ぎ落として、一定の公式、定理にたどり着いたように、人間感情を排除して成長してきたという特徴があります。グレーゾーンも、奇異なモノではなく、人間らしさなので、そのことを忘れずに向き合っていかなければならないと思う。

 

#家にいよう。今野、そこにアイはあるんか?

 管理は「己を磨き、人を安心させるプロセス」ならば、どのようにすれば、自他ともに安心できるだろうか?

 「安心」というと笑ってしまう人がいるかもしれません。いかにも幼稚なように思える。しかし、コロナの今だからこそ、我々は痛いほど身に泌みて感じるのではないだろうか?マスクをかけずに外を歩ける「安心」、マスクをかけずに一日中仕事していられる「安心」が大事だということを。

 そして、癒しを得るにも、安らぎを得るにも、幸せを感じるにも、その根底には安心があるのではないだろうか?

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 こんなふうに心と心がつながれば、きっとそこには愛はあると思う。人を安心させる目的は、「心を一つにして協力する」ことである。組織メンバーの力を結集し、「和」の性質を産み出すことができれば、「万事成功」の効果を達成することができる。「和」の中から発する「合力」こそは、本当の「心を一つにする」ことであり、組織メンバーがあたかも家族のように行動すれば、自然と「家が仲睦まじい(和)ならば、万事が成る」という素晴らしい状態となる。

 コロナだからテレワークすれば良いと考える方は大勢いると思います。しかし、それには物理的距離に伴って発生する心理的距離が埋まらないといけない。日本社会には、昔から「言わなくても分かるだろう、察しとけよ。」というコミュニケーション軽視の風潮がある。そのことが仕事効率を下げ、働く人を遠回りさせ、やる気をそいできたように思う。

 テレワークしないとしても、コミュニケーションの重要性を再認識することは、極めて重要な課題である。そして、みんなで早急に真剣に立ち向かわなければなりません。

 

#家にいよう。コロナに負けないように心理的免疫力を高めよう!

 #家にいよう。

 #落ち着こう。

 #医療従事者へのエールを。

 コロナは収まりつつも、まだ終わりが見えない。そして緊急事態宣言が延長されるようになりました。非常にたくさんの人がメッセージを発信し、世の中を元気づけて、外出自粛を応援しているのを見るにつけ、本当に微笑ましく思います。同時に私も多くのブログネタを書いて、みんなの「#家にいよう。」を少しでも楽しいものにしようと思うのですが、いかんせん文才に限りがあり、そのうえ私自身も自宅待機の新しい技術習得で、見たこともないカタカナ英語と悪戦苦闘中です。

 管理というと、我々はいつもすぐに会社や組織の管理を思い出してしまう。しかし、中国式管理は、管理を「己を磨き、人を安心させるプロセス」だと指し示す。スタートは自己管理、自分自身のレベルアップであり、ゴールは他人をも、自分をも安心させることである。

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 こんなふうに考えると、いかつい渋面をした管理も少しは可愛げのあるものになるではないだろうか。そして安心できるかどうかで測ることができれば、管理のための管理ではなく、もっとみんなが幸せになり、受け入れられるような管理ができるではないだろうか。

 中国式管理は、さらに人間のライフワークを修身・斉家・治国・平天下としている。管理を4つのステップに分けて、自分を管理し、そしてその成果を家の管理、国の管理、世界の管理にまで広げる行くべきというのです。

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  修身・斉家・治国・平天下の目的は、言うまでもなく個人・家庭・国家・世界の安心のためにほかならない。

 中国式管理は、経営管理の範疇に限られているものではない。自己管理からスタートし、経営管理の様々な手法を完成しようとしています。これまで経営管理の書籍にない中国的な切り口を、三顧の礼などの歴史故事、孔子荀子の古典哲学を織り交ぜながら、簡単な中国人の身の回りの例を挙げて、分かり易く面白く軽快に解説しています。

 まだ、状態が安定しないが、我々は家にいることしかできない今こそ、いつも仕事に追われてきた我々はゆっくり考えてみるべきではないでしょうか。それに中国式管理が少しでも役に立てることを切に願う。

 

巨大ガラパゴス諸島

  日本人は外の世界を見るために、海外旅行、または海外で生活することがありますでしょうか?日本人の多くは、二言目には「海外など行ったことがないよ」と自慢するほど、海外に出て行かない。

  しかし、14歳の時に、中国から日本にやってきた34年間の経験から申し上げると、一つの言語、一つの国・社会が分かるようになるには、少なくとも10年はかかります。とても観光に行ってきたというぐらいの期間では、美味しかったよというぐらいでは到底理解できないものです。かような状況の中では、果たして我々はアメリカ式管理のジレンマを知り得ただろうか?それを指摘できた学者はどれだけいただろうか?アメリカ式管理を本当に理解できているのだろうか?

  しかも、帰国者はむしろよそ者として扱われ、知識・知見が大事にされ、生かされることはほとんどないようにも感じます。

  おまけに2019年1月から出国税が導入され、海外に行くには、出国税1000円支払わないと行けなくなりました。行ってほしくないなら、もっと多額な税金を課して、行かないようにすべきだろう。行っていろいろなもの、考え方を持って帰ってきてほしいなら、お金をあげるぐらいの気持ちでなくては。。。このような中途半端な金額設定は、島国商人根性が見え隠れしているのではないだろうか?

  昭和末期から、平成期を通して、我々が感じてきた生活の苦しさ、ぼんやりとした不安は、隔絶され真に比較対象を持てなかったからではないだろうか。分けることは、分かることに通じるとよく言います。

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  一つの世界しか知らないカゴの中の鳥状態では、自分の全てがドン底のように思えてならない。自信を喪失し、自分で自分を認識できず、この国の良さを理解できない。自分はこんなにも不憫なのだから、当然未来へは踏み出せるはずもない。いつまで経ってもそのぼんやりはすっきりせず、ついには精神を病んでしまう。

  それじゃ、アメリカではいけないだろうか?我々はアメリカをあまりにも見過ぎでいる。なのに、なぜ満たされない感じをいつまでも感じるのだろうか?中国式管理という新しい視点をもって、それをよく考える時期に差し掛かっているのではないだろうか?これはまた別立てで述べたいと思います。

 いずれにしても、もはや、引きこもっていてはいけないのだ。

 中国式管理には、多元化社会に関する面白い記述があるので、掲載しておこうと思います。

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